日本における近時のドーピング紛争事例の概観 アンチ・ドーピング規則違反に問われたら・・・
1 世間を賑わせるドーピングに関する報道
ここ最近、カヌー選手による他選手への薬物混入問題、平昌オリンピックにおけるスピードスケート・ショートトラック男子選手のドーピング検査陽性、フェンシング女子選手のTUE(治療使用特例)申請漏れ、競輪男子選手による国体における初のアンチ・ドーピング規則違反等、ドーピングに関する報道が世間を賑わせています。
特にインパクトを与えた、カヌー選手による他選手への薬物混入問題では、意外に思われるかもしれませんが、薬物を混入した選手だけでなく、混入された選手も、アンチ・ドーピング規則違反となります。混入された選手については、資格停止期間の制裁は受けませんでしたが(末尾の表参照)、ドーピング検査が行われたレースの個人成績は失効とされてしまいました。禁止薬物を摂取した選手は、仮に落ち度がなくとも、(資格停止期間の制裁を受けるかどうかは別として)、「アンチ・ドーピング規則違反」には該当することになるのです
2 アンチ・ドーピング規則違反を争う
今回は、典型的なアンチ・ドーピング規則違反である、ドーピング検査の結果で採取した尿や血液から禁止物質が検出された場合を例に、アンチ・ドーピング規則違反をアスリート側が争う場について概略を説明します。
ドーピング検査では2つの検査ボトルに検体を採取し(A検体とB検体)、A検体の分析の結果、違反の疑いがあるという結果となった場合、JADAからその結果の通知を受けます。違反が疑われるという結果報告を受けたアスリートは、B検体の分析を要求でき、この分析に立ち会うことも可能です(代理人を立ち会わせることも可能です)。
B検体の結果も陽性(違反の疑いがある)となった場合には、日本アンチ・ドーピング規律パネル(以下、単に「規律パネル」といいます。)における審理手続を経て、処分内容が決まることになります。規律パネルは処分内容を決定するにあたり原則として聴聞会を開催します。アスリート側(関係者含む)は、この聴聞会の場で自らの主張・意見を述べ、資料を提出することが可能です。もちろん、代理人をつけて対応することも可能です。2015年度~2017年度までの規律パネルの決定内容について、末尾の表にまとめたので参照してください。
規律パネルが出した決定に不服がある場合には、公益財団法人日本スポーツ仲裁機構(以下「JSAA」といいます。)のドーピング紛争に関するスポーツ仲裁手続を申し立てることができます(アスリート側だけでなくJADAからも申立てがなされることがあります)。申立ては、原則として規律パネルの決定を受け取ってから21日以内という期限があるのでご注意ください。JSAAでは、3人の仲裁人で構成された仲裁パネルで審理が行われ、当事者(アスリート側・JADA)は、書面や証拠を提出して争うことになります。ちなみに、過去にJSAAで争われた案件は5件(うち2件は事案共通なので、実質的には4件)あります(末尾の表参照)。
3 おわりに
アスリートとしては、まずアンチ・ドーピング規則違反とならないよう細心の注意を払うことは大前提ですが、過去の紛争事例に関する知識(事案や問題点等)を身につけておくことも有用です。今回のコラムでは、一つ一つの事例については解説まではしませんが、アスリートにとっての情報提供となればと思います。
執筆:虎ノ門協同法律事務所 弁護士 多賀 啓
<規律パネルの決定>
年度 | 事件番号 | 事案の概要 | 問題点(又は当事者の主張) | 結論 | アスリート側代理人 |
2015 | 2015-001 | ソフトボール競技会におけるドーピング検査において、アスリートの検体からオキシロフリン、β-メチルフェネチルアミン(特定物質)が検出された事案 | アスリートによる違反に「重大な過誤又は過失がない」といえるか。 | 成績の失効 8ヶ月間の資格停止 |
不明 |
2015-002 | パワーリフティング競技会におけるドーピング検査において、アスリートの検体からドロスタノロン(非特定物質)が検出された事案 | アスリートによる違反が「意図的」ではなかったかどうか。 | 成績の失効 4年間の資格停止 |
不明 | |
2015-004 | ボディビルディング競技会におけるドーピング検査において、アスリートの検体からデヒトロクロロメチルテストステロン(非特定物質)が検出された事案 | アスリートによる違反が「意図的」ではなかったかどうか、10年以内の2回目の違反の場合の資格停止期間。 | 成績の失効 8年間の資格停止 |
不明 | |
2015-005 | 陸上競技会におけるドーピング検査において、アスリートの検体からメチルフェドリン(特定物質)が検出された事案 | アスリートによる違反に「過誤又は過失がない」、または「重大な過誤又は過失がない」といえるか(後者につき、アスリート側の主張が認められた事例) | 成績の失効 8ヶ月間の資格停止 |
不明 | |
2015-006 | アスリートが居場所情報関連義務違反に問われた事案 | 10年以内の2回目の違反の場合の資格停止期間。 | 4年間の資格停止 | 不明 | |
2015-007 | ボディビルディング競技会におけるドーピング検査において、アスリートの検体からオキシロフリン(特定物質)が検出された事案 | アスリートによる違反に「重大な過誤又は過失がない」といえるか。 | 成績の失効 2年間の資格停止 |
不明 | |
2015-008 | パワーリフティング競技会におけるドーピング検査において、アスリートの検体からメタンジエノン(非特定物質)が検出された事案 | アスリートによる違反が「意図的」ではなかったかどうか。 | 成績の失効 4年間の資格停止 |
不明 | |
2015-009 | ボディビルディング競技会におけるドーピング検査において、アスリートの検体からオキシロフリン(特定物質)が検出された事案 | アスリートによる違反に「重大な過誤又は過失がない」といえるか。 | 成績の失効 2年間の資格停止 |
不明 | |
2016 | 2016-004 | ボディビルディング競技会におけるドーピング検査において、アスリートの検体からドロスタノロン・クレンブテロール(非特定物質)が検出された事案 | 「速やかな自認」による資格停止期間の短縮の可否 | 成績の失効 3年9ヶ月間の資格停止 |
不明 |
2016-005 | ボディビルディング競技会におけるドーピング検査において、アスリートの検体からメタンジエノン(非特定物質)が検出された事案 | アスリートは、検査結果、検査手続過程を争わず、自認し聴聞会を放棄している。 | 成績の失効 4年間の資格停止 |
不明 | |
2016-006 | ボディビルディング競技会におけるドーピング検査において、アスリートの検体から1-テストステロン、1-アンドロステンジオン(非特定物質)が検出された事案 | 手続きの瑕疵、アスリートによる違反が「意図的」ではなかったかどうか。 | 成績の失効 4年間の資格停止 |
不明 | |
2016-007 | フットボール競技会におけるドーピング検査において、アスリートの検体からメチルヘキサンアミン(特定物質)が検出された事案 | アスリートによる違反に「過誤又は過失がない」、または「重大な過誤又は過失がない」といえるか(後者につき、アスリート側の主張が認められた事例) | 成績の失効 譴責のみ |
望月浩一郎・大橋卓生 | |
2016-008 | JSAA-DP-2016-001による仲裁判断参照 | 飯田研吾・望月浩一郎 (ただし、規律パネルではなくJSAA仲裁から就任) |
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2017 | 2017-001 | 水泳競技会におけるドーピング検査において、アスリートの検体から1,3ジメチルブチルアミン(特定物質)が検出された事案 | アスリートによる違反に「過誤又は過失がない」、または「重大な過誤又は過失がない」といえるか(後者につき、アスリート側の主張が認められた事例) | 成績の失効 7ヶ月間の資格停止 |
望月浩一郎・造力宣彦・中嶋翼 |
2017-002 | カヌー競技会におけるドーピング検査において、アスリートの検体からメタンジエノン(非特定物質)が検出された事案(他のアスリートが禁止薬物をドリンクボトルに混入させた) | アスリートによる違反に「過誤又は過失がない」といえるか(アスリート側の主張が認められた事例) | 成績の失効のみ | 不明 | |
2017-004 | カヌー競技会において、アスリートが他のアスリートのドリンクボトルに禁止物質を混入した事案 | アスリートは、混入の事実を自認している。 | 成績の失効 8年間の資格停止 |
不明 | |
2017-006 | フェンシング競技会におけるドーピング検査において、アスリートの検体からプレドニゾロン、プレドニゾン(特定物質)が検出された事案(治療のために使用していたものの、TUE申請をしていなかった) | アスリートによる違反に「過誤又は過失がない」、または「重大な過誤又は過失がない」といえるか(後者につき、アスリート側の主張が認められた事例) | 成績の失効 1年3ヶ月の資格停止 |
不明 |
<JSAAの仲裁判断>
年度 | 事件番号 | 事案の概要 | 問題点(又は当事者の主張) | 結論 | 仲裁パネル | アスリート側代理人 | ||
2008 | JSAA-DP-2008-001 | 自転車競技大会当日のドーピング検査においてアスリート(申立人)から禁止物質サルブタモール(2008年禁止表における「S3. ベータ2作用薬」)が検出され、TUEが取得されていなかったため、規律パネルにおい1年間の資格停止とされ、アスリートが不服を申し立てた事案 | アスリートは、 ① 連盟においてアンチ・ドーピングに関する研修会をどの競技者に対しても実施しておらず、申立人がドーピングに関する規定(医療目的で使用している治療薬に関する規定を含む。)を知らされていないことで責められるのは理不尽である、 ② 喘息の治療のため禁止物質を吸入したところ、ドーピング検査は競技終了後数時間後にされており、競技終了後の治療に対して検査がされることはドーピング検査として不適切である、 と主張した。 |
申立ては棄却された。 | 笠井正俊 | 山本隆司 | 濱本正太郎 | - |
上記事案につき、JADA側が規律パネル決定に対して不服を申し立てた(資格停止期間を2年間とするよう求めた)もの | JADAの不服申立ての時点で、規律パネルの決定の日の翌日から14日を経過していた。 | 申立ては却下された。 | 笠井正俊 | 山本隆司 | 濱本正太郎 | - | ||
2012年度 | JSAA-DP-2012-001 | 自転車競技大会において、失格となり途中で帰路についたアスリートが、ドーピング検査の対象となっていた事案 | アスリートが、自己がドーピング検査の対象であることについて、アンチ・ドーピング規則上の通告を受けたといえるか。 | 規律パネルは、アスリートへの通告を受けたとはいえないとし、アンチ・ドーピング規則違反はないと判断した。 | 水戸重之 | 溜箭将之 | 森下哲朗 | 望月浩一郎・大橋卓生 |
2013年度 | JSAA-DP-2013-001 | マラソン競技会におけるドーピング検査において、アスリートの検体から「エリスロポエチン」(2012年禁止表国際基準における「S2.ペプチドホルモン、成長因子及び関連物質」)が検出され、規律パネルはアスリートを1年間の資格停止とし、これに対し、JADAが2年間の資格停止を求めた事案 | アスリートによる違反に「重大な過誤又は過失がない」といえるか。 | 資格停止期間は2年間に変更された。 | 下條正浩 | 溜箭将之 | 橋岡宏成 | 望月浩一郎・大橋卓生・西脇威夫 |
2016年度 | JSAA-DP-2016-001 | 国体自転車トラック・レースにおけるドーピング検査において、アスリートの検体から1-テストステロン、1-アンドロステンジオン(2016年禁止表国際基準(以下「禁止表」という。)に定める「S1. 蛋白同化薬/1.蛋白同化男性化ステロイド薬(ASS)/a.外因性ASS」)が検出され、規律パネルはアスリートを4年間の資格停止とし、これに対し、アスリートが規律パネル決定の取消しを求めた事案 | アスリートによる違反に「重大な過誤又は過失がない」といえるか、またその程度 | 資格停止期間は4ヶ月間に変更された。 | 水戸重之 | 須網隆夫 | 千葉恵介 | 飯田研吾・望月浩一郎 (JSAA仲裁から) |