TUEの取得が必要な静脈注射とは?-禁止表M2.2の改訂履歴の検証 その2-
1 はじめに
前回の記事では、禁止表国際基準M2.2の改定履歴から、TUEを取得せずに静脈注射をすることが許される「医療機関」の定義について検証しました(詳しくは、コチラのリンクを参照)。
今回は、禁止表の原文及びWADAが公開している医師向けのガイドライン「TUE Physician Guidelines Medical Information to Support the Decisions of TUECs Intravenous Infusions」を参照した上で、TUEの取得が必要な場合とそうではない場合を整理したいと思います。
また、禁止表原文及び上記ガイドラインを参照した結果、筆者としては、2018年版禁止表M2.2の日本語訳は、以下のように訳す(具体的には、現状の訳に赤字の文言を付け加える)方が、M2.2の正しい理解が伝わり易いと考えています。
以下、①TUEの取得が必要な場合とそうではない場合の整理、②2018年禁止表M2.2の適切な日本語訳の順で説明していきます。
2 ①TUEの取得が必要な場合とそうでない場合の整理
(1)基本的な考え方
静脈注射に関しては、①注入する物質の使用についてのTUEと、②静脈注射という方法の使用についてのTUEという二つのTUEの取得の要否を考える必要があります(場合によっては、二つのTUEが必要になることがあるので、注意が必要です)。
以下の図は、禁止物質と禁止方法という二つの観点から、2018年禁止表M2.2の下におけるTUEの取得の要否をまとめたものです。
図:TUEの取得の要否フローチャート
(2)禁止物質の使用についてのTUE取得の要否
上記図表の(1)の記載のとおり、注入される物質が禁止物質の場合は、禁止物質の使用についてのTUEの取得が必要となります。
(3)禁止方法の使用についてのTUE取得の要否
注入される物質の量が12時間に100mlを超えない場合は、禁止方法についてのTUEは、必要ありません。
他方、注入される物質の量が12時間に100mlを超える場合は、原則として、禁止方法についてのTUEの取得が必要になります。
但し、例外的に、静脈注射が
①入院施設のある医療機関による治療の過程
②外科手術の過程
③臨床検査の過程
のいずれかにおいて行われる場合は、TUEの取得は不要です[ⅰ]。
ここで注意しなければならないのは、禁止表M2.2の英語版にいう「hospital」とは、入院施設のある医療機関のことを指している、ということです。そのため、静脈注射が、入院施設のない医療機関(クリニック)による場合は、それが医師による治療行為としての静脈注射であるとしても、TUEの取得が必要になります。実際、WADAが公開している医師向けのガイドライン「TUE Physician Guidelines Medical Information to Support the Decisions of TUECs Intravenous Infusions」の中でも、以下の場合は、TUEの取得が必要であることが明確に記載されています[ⅱ]。
1)競技大会主催者が用意する医務室、テント、スタート・ゴール地点の施設において静脈注射を実施する場合 2)入院施設のない医療機関やクリニック、治療センター(無床診療所)において、静脈注射を実施する場合(但し、臨床検査の過程及び外科手術が実施されるときを除きます)。 |
前回の記事の中で紹介したとおり、JADAは、2017年12月31日まで、例外的にTUEを取得することが必要とされない場合について、以下の訳を充てていました。
2017年禁止表M2.2抜粋 except for those legitimately in the course of hospital admissions, surgical procedures or clinical investigations. 但し、医療機関の受診過程※、外科手術、または臨床的検査において正当に受ける静脈内注入は除く。 ※JADA訳注:救急搬送中の処置、外来および入院中の処置を全て含む。 |
そのため、わが国では、「静脈注射が、入院施設のない医療機関やクリニック、治療センター(無床診療所)等の医療機関において行われたとしても、医師による正当な治療であれば、TUEの取得は不要」という理解が広まっていたと思われます。
しかしながら、この理解は、禁止表M2.2の解釈としては誤りです。筆者は、この誤解に基づくJADC2.2項違反を予防するため、正しい禁止表M2.2の解釈が、日本全国の競技者や医師・スポーツドクターに対する周知が徹底されることが必要だと考えています。
3 2018年禁止表M2.2の適切な訳について
JADAは、2018年3月8日、禁止表M2.2の英語版にいう「hospital」とは、入院施設のある医療機関のことを指していることを明らかにした上で、例外的に許容される静脈注射の訳として、以下の訳を充てています。
2018年禁止表M2.2抜粋 except for those legitimately in the course of hospital treatments, surgical procedures or clinical diagnostic investigations. 但し、入院、外科手術、または臨床検査のそれぞれの過程において正当に受ける場合は除く。 |
しかし、「in the course of hospital treatments」という文言やWADAが公表している「TUE Physician Guidelines Medical Information to Support the Decisions of TUECs Intravenous Infusions」の内容からすれば、「入院…の過程において」という部分は、「入院施設のある医療機関による治療の過程」と訳す方が、例外的に許容される静脈注射の範囲を適切に表現していると考えられます。
そこで、筆者としては、冒頭で述べたとおり、M2.2の訳語を、以下の訳を充てた方が、M2.2の正しい理解が伝わり易いと考えています。
M2.2の改定案
4 終わりに
今回、この記事を書くに至った大きな理由には、スポーツの現場に携わられている医師の中には、禁止表M2.2に関し、「病床の有無にかかわらず医師による正当な静脈注射であればTUEの取得は不要」という2017年までのJADA訳を前提とした理解から、情報が更新されていない方もいると知ったことでした。
このように、依然として、M2.2についての誤解が払しょくされていないという状況は、深刻な事態とみられなければなりません。なぜなら、JADC2.2項違反の成立には、競技者の使用についての意図や過誤、過失は不要であるため、本来TUEの取得が必要な場合に、誤解を原因として違反を犯したとしても、競技者が免責されるわけではないからです。
上記の現状とJADCの構造からすれば、筆者としては、少しでも多くの競技者や医師・スポーツドクターの皆様がこの記事を見て、M2.2の正しい理解に至り、誤解を原因とした違反が予防されることを期待しています。
執筆:虎ノ門協同法律事務所 弁護士 多賀 啓、Field-R法律事務所 弁護士 杉山翔一
[i] 「TUE Physician Guidelines Medical Information to Support the Decisions of TUECs」には、禁止される量の静脈注射が、入院施設のある診療所における治療、外科手術又は臨床検査の一部として行われる場合には、TUEは不要との記載があります。
[ii] 「TUE Physician Guidelines Medical Information to Support the Decisions of TUECs」には、以下に該当する場合は必ずTUEの取得が必要であるとの記載があります。
1) a medical practitioner’s office, suite, home, tent or vehicle;
2) IV clinics or any clinic/treatment room or centre outside of a hospital facility unless a clinical diagnostic investigation or surgical procedure has been performed;
3) event organizers’ medical facility, tent, first aid station, or start-finish line facility.