1 はじめに

現在、隣国の韓国で、北京オリンピックの金メダリスト朴泰桓(パク・テファン)選手が今年8月に開催されるリオオリンピックに出場できるのか、という点が大きな問題となっています(以下「朴泰桓事件」といいます)。

この朴泰桓事件は、スポーツ団体の団体自治権や、スポーツにおける「制裁」の法的性質に関する重要な問題を提起しており、我が国のスポーツ関係者の間でも深く議論すべきと思われるため、本コラムの場をお借りして、朴泰桓事件の概要を紹介した上で、朴泰桓事件の法的な問題点を整理したいと思います。

2 朴泰桓選手のリオオリンピック出場を阻むKOCの代表戦選抜規定

朴泰桓選手は、2008年の北京オリンピック・競泳400メートル自由形種目において、史上初めて韓国に金メダルをもたらした選手です。

2014年9月3日、朴泰桓選手の体内から、規則により摂取の禁止されている物質(テストステロン)が検出されたため、朴泰桓選手は、国際水泳連盟から、1年6か月の資格停止処分を課されました。同処分による資格停止期間は2016年3月3日に満了を迎えたため、朴泰桓選手は、2016年4月に開催された韓国国内の競技大会に出場し、4種目で優勝すると共に国際水泳連盟が設定するA基準を突破するという成績を収めました。

この競技結果により、朴泰桓選手の韓国代表としてのリオオリンピック出場が確定したかのように思えます。ところが、大韓体育会(Korean Olympic Committee: KOC)は、報道によれば、以下のような規定を定めていました(以下「本件規定」といいます)。

体育会および競技団体において、禁止薬物を服用・使用許容、またはそそのかす行為で懲戒処分を受け、懲戒が満了になった日から3年が経過しない者は、国家代表欠落対象とする(代表戦選抜規定第5条6項)。

KOCは、2016年4月6日、本件規定を改定するつもりもない、という立場を明確にしました。そして、2016年5月12日、大韓水泳連盟管理委員会は、本件規定を受け、朴泰桓選手を、韓国代表候補リストから除外する決定をしました。

報道によれば、今後も朴泰桓選手とKOCとの話合いが行われるようですが、現状のままでは、朴泰桓選手のリオオリンピック出場は難しい状況にあります。

3 KOCが本来的に有する団体自治権

国内オリンピック委員会(National Olympic Committee: NOC)は、一般の団体と同様に、団体自治権を有しています。NOCは、団体自治権に基づき、法令や関連規則に反しない限り、自由に規則を定め、また自由に代表選手を選考することができる、というのが原則的な考え方です。KOCの本件規定も、KOCが本来的に有する団体自治権に基づいて定められているといえます。

逆にいえば、KOCが本来的に有する団体自治権(規則制定権や代表選考権限)に対する制限を正当化するためには、法的な根拠が必要になってきます。

4 KOCの団体自治権を制限する国際秩序〜世界アンチ・ドーピング規程

NOCの団体自治権に対する制限を考える上で重要になってくるのが、アンチ・ドーピングに関する国際的なルール「世界アンチ・ドーピング規程」(World Anti-Doping Code: WADC)です。

WADCは、国際的な調和の観点から、全ての署名当事者に対して、統一的に適用されることを前提として、世界アンチ・ドーピング機構(World Anti-Doping Agency: WADA)によって策定された規程です。WADCの署名当事者に各NOCが含まれていることが示しているように(WADC第23.1.1項)、WADCは、全世界的で統一的に適用されることから、今日のスポーツ界において一つの「国際秩序」を成していると考えられています。

WADCが「国際秩序」であることは、WADCに、全ての署名当事者が実質的な変更を加えることなく実施しなければならない規定が定められている、という点にも現れています(WADC第23.2.2項)。仮に、NOCが、WADC第23.2.2項を遵守しなかった場合には、当該NOCは、国際競技大会の中止やオリンピック憲章に基づく処分を受ける可能性さえあります(WADC第23.6項)。

このように、NOCの団体自治権は、WADCという「国際秩序」による制限を受けているというのが、国際的なスポーツ界の現状であり、KOCの団体自治権も同様の理由からWADCによる制限を受けている、ということになります。

5 「国家代表欠落対象とする」ことは、WADC第10条に定める制裁と同視すべき「制裁」にあたるのか

朴泰桓事件の最も重要なポイントは、「国家代表欠落対象とする」ことが、WADC第10条に定める制裁と同視すべき「制裁」にあたるのか、という論点です。

というのも、WADC第23.2.2項において、署名当事者が実質的な変更を加えることなく実施しなければならないとされている規定の中には、競技者らに対する制裁を定めるWADC第10条も含まれているからです。そのため、本件規定の適用が、WADC第10条の制裁と同視すべき「制裁」にあたるとすれば、KOCが、WADC第23.2.2項に違反する可能性が出てくることになります。

この論点に関しては、様々な見解が考えられるところです。

例えば、(ⅰ)本件規定が直接的に「制裁」を定める規定ではないことや、朴泰桓が結果的に出場できないとされる競技大会がWADC第10条に定める制裁により出場が禁止される競技大会の全てではない点に着目し、本件規定を適用することは、WADC第10条に定める制裁と同視すべき「制裁」ではないという見解や、(ⅱ)本件規定の適用の結果として、朴泰桓選手が最終的に、WADC第10条に定める制裁により出場が禁止される競技大会の一つであるオリンピック大会に出場することができない点に着目し、本件規定を適用することは、WADC第10条に定める制裁と同視すべき「制裁」にあたる、という見解が考えられます。

なお、参考までに、イギリスオリンピック委員会(British Olympic Association: BOA)が定めていた以下の規定(以下「BOAルール」といいます)が、WADC第23.2.2項に違反するか否かが争点になった事案において、スポーツ仲裁裁判所(Court of Arbitration for Sport: CAS)の仲裁パネルは、BOAルールを適用することがWADC第10条に定める制裁と同視すべき「制裁」にあたるということを前提として認めた上で、BOAルールはWADC第23.2.2項に違反する、という判断を示しています(CAS 2011/A/2658 BOA v. WADA[i])。以下「BOA事件」といいます。

Any Person who is found to have committed an Anti-Doping Rule violation will be ineligible for membership or selection to the Great Britain Olympic Team

また、国際オリンピック委員会(International Olympic Committee: IOC)が定めていた以下の規定(以下「IOCルール」といいます)が、WADC第23.2.2項に違反するか等が争点となった事案において、CASの仲裁パネルは、IOCルールを適用することがWADC第10条に定める制裁と同視すべき「制裁」にあたることを前提として認めた上で、IOCルールはWADC第23.2.2項に違反する、という判断しています(CAS 2011/O/2422 USOC v. IOC[ii]。以下「USOC」事件といいます)。

Any person who has been sanctioned with a suspension of more than six months by any anti-doping organization for any violation of any anti-doping regulations may not participate, in any capacity, in the next edition of the Games of the Olympiad … following the date of expiry of such suspension.

このように、WADAの署名当事者が定める規定がWADC第23.2.2項に違反するかが争点となったBOA事件、USOC事件におけるCAS仲裁パネルの判断は共に、上記(ⅱ)の見解に親和的であり、仮に、朴泰桓事件がCASにおいて争われた場合は、本件規定を適用することが、WADC第10条と同視すべき「制裁」にあたる(したがって、本件規定はWADC第23.2.2項に違反する)、と判断される可能性が高いと思われます。

なお、朴泰桓選手に対し本件規定を適用することが、刑事法の一つの原則である「二重処罰の禁止」に当たるか、という論点については、WADC及び本件規定の目的、本件規定を適用すること法的性質、本件規定を適用することによる効果の程度といった複数の点に関し、深く考察を加える必要があるため、時間と紙面の関係で、本コラムでは省略させていただきます。

6 おわりに

このように、朴泰桓事件は、スポーツ団体の団体自治権とそれを制限する法的根拠や、スポーツにおける「制裁」の法的性質について考えさせる契機となるという意味で、我が国のスポーツ関係者にとっても重要な事例だといえます。

また、朴泰桓事件を通じて、NOCが本来的に有する団体自治権を制限しうるWADCという「国際秩序」の強力さが浮き彫りになっており、朴泰桓事件は、国際競技団体と国内競技団体との関係のあり方を考察する意味でも、好例だといえます。

本コラムをきっかけに、我が国のスポーツ関係者の間で、朴泰桓事件が提起する法的な問題点についての研究が進むことを期待しています。

以 上

執筆:Field-R法律事務所 弁護士 杉山 翔一


[i] https://wada-main-prod.s3.amazonaws.com/resources/files/cas-2011-a-2658-boa.pdf

[ii] http://jurisprudence.tas-cas.org/Shared Documents/2422.pdf
体育会および競技団体において、禁止薬物を服用・使用許容、またはそそのかす行為で懲戒処分を受け、懲戒が満了になった日から3年が経過しない者は、国家代表欠落対象とする(代表戦選抜規定第5条6項)。