まったく意表をつかれた本書の出版に驚いています。それは”平和学”としての、というあまり見慣れないタイトルもそうだし、また「ぼくは」あるいは「ぼくたちは」という主語に始まる叙述の方法にも言えます。

本書は受講している学生さんたち一人ひとりにやさしく語りかけるという辻口先生のサービス精神にあふれていますが、書いてある内容の一つひとつは決してやさしいものではありません。しかしそれを巧みに語りかける手法に先ず私は脱帽しました。こういう風に書けば、あるいは同じ話でも自分が実際に出会った話や例をあげてこういう風に説明すればみんなはわかってくれるというか、共感・共鳴してくれるのだという確信を最後に私は持ちました。しかし私は70歳の年に定年退職してすでに7年も経っており、遅かりし由良の助(あまりにも古い話で今どきの人には意味不明でしょうが)というところでしょうか、誠に残念至極です。
 
さて本書の内容は、著者自身が書いているように、「ひと言でいうと、平和な国際社会を創造するために、スポーツが役立ち、スポーツ法が関与できる」という辻口先生の主張をできるだけ「高校生にも十分理解できる」ように書かれた「スポーツと平和」の本だということができます。それを本書の「第4章 スポーツの平和創造機能」で国連憲章や世界人権宣言、国際人権規約などから引用しながら説明しているのですが、好みから言えば(学問的ではないですが)私にはむしろ「第2章スポーツと法」の「Ⅱ 憲法とスポーツ」の中で「武器を放棄する=受動的平和的井生存権」だけでなく、「武器をスポーツに持ち替える=能動的平和的生存権」の説明の方が好きです。

「スポーツの戦争抑止機能(スポーツの平和創造機能)」をわかりやすく説明するために「繰り返しますが、スポーツでの勝利は、確かに権力欲・闘争本能の十分な満足ではありません。しかし、ルールを介在させ、ある程度の満足で終わらせるノーサイドの結論に導く、それが人類の叡智、文化としてのスポーツなのです。そこにスポーツの良さ、スポーツの持つ『平和創造機能』があるとぼくは思います」(40頁)という辻口先生のスポーツへのまさしく楽天的というか手放しの賛歌が謳われています。多くのスポーツ人、スポーツ愛好者からも共感の声が聞こえてきそうです。

そして「ここからが本書の要諦です」(274頁)とわざわざことわって「国際社会とスポーツ権」の中で「日本政府のこれまでの行動」に対しても「先駆的平和憲法を活かし、堂々と発言する」ことを求め、「あるべき国際社会を目指すため、特に核兵器の問題などでは、唯一の被爆国としてももっともっとイニシアティブが取れる、少なくともアメリカに諫言すべきことがあるはずです」ときびしい(表現はやさしく)批判をされています。

その上で「わたしたちは何をなすべきか、何ができるか」を問われているのですが、辻口先生は二つの「提案」をしています。1つは「東京渋谷にある国連大学の活用」ともう1つは「国連の中にも、スポーツに関する部局(国連スポーツ省)を創設するためにロビイ活動をする」ことです。そして「スポーツの平和創造機能」を具体的に実現するために、「1兆円の話」(223頁)に出て来る「すばらしい企画」を語るのです。

それはたとえば「最も仲の悪い、あるいは紛争中の国同士の子ども達を、あえて国連の仲介で相互にスポーツ派遣するなど」(先の「1兆円の話」の中では2泊3日の子ども達の国際的なスポーツ体験やキャンプの話が語られています)です。それを辻口先生は「武装による国防予算5兆円の500分の1(100億円)を、スポーツによる平和のため、子ども達に使わせてほしいのです」と、「貧乏性のぼくとしては、戦闘機(1機100億円)の尾翼部分くらいの毎年10憶円でもいいからなあと思っていますが、それでも毎年1万人は交流できます」(226頁)と、実にさりげなく今の国の軍拡路線を批判しながら語る手法はかなりしたたかに計算されている感じがします。でも私はそういう辻口先生のしなやかでしたたかな発想や生き方が好きです。

ほんとうは他の(とくにスポーツ基本法逐条解説や「地域スポーツと法」の)叙述などに注文をつけたかったのですが、すっかり辻口先生の手の内に乗せられたようで「戦意喪失」してしまいました。またの機会にしたいと思います。

本書が著者も希望されているように2020年の東京オリンピック・パリンピック大会開催に向かって「オールジャパン体制=国民総動員体制」に突き進んでいるかのように思える現在、「2020年までに、是非、高校生も含む若者、平和を愛する全ての人に、読んでもらいたい」と思います。そして「戦争が最大の人権侵害」であることを「誰もが認め、また、平和を愛さない人はいないので、そうすると全世界の全員に読んでもらうことになり、この本はノーベル平和賞の対象になるのですが(笑)」という辻口先生の、あえてロマンというのでしょうか、「夢」を共有したいと願っています。

森川 貞夫(市民スポーツ&文化研究所)