1 事案について
(1) 2016年10月27日、サンフレッチェ広島は、HP上にて以下の発表を行いました。
① 2016年9月25日にJADA(公益財団法人日本アンチ・ドーピング機構)により実施されたドーピング検査(明示安田生命J1リーグ2ndステージ第13節サンフレッチェ広島対浦和レッズ戦後)において、千葉和彦選手(サンフレッチェ広島)の尿検体から「メチルヘキサンアミン」(methylhexaneamine)が検出された
② これを受けて、JADAは、同年10月21日、千葉選手に対し、暫定的資格停止処分(日本アンチ・ドーピング規程(以下、「規程」と言います)7.9項)を課した
(2) JADAの手続きについて
 ドーピング検査の結果、違反が疑われた場合、競技者のもとにJADAよりその旨の通知が来ることになります。競技者は、検体の再分析を要請することができます。
 ※検体の再分析・・・ドーピング検査においては、採取した尿検体をA、B容器に分けて保存し、Aが陽性であった場合、Bについても分析することを求めることができます。
 そして、競技者が放棄しない限り、原則として14日以内に、聴聞会が開催されることになります。ここで、日本アンチ・ドーピング規律パネルが、競技者に規程違反があったかを判断します。
 千葉選手も、この手続に従い、再分析、聴聞会開催の要請を行いました。千葉選手には、「自身には身に覚えがない」という思いがあったのです。そこで、千葉選手の処分がどうなるかは、聴聞手続での主張、立証如何に委ねられることになりました。
(3) メチルヘキサンアミンについて
ア メチルヘキサンアミンについては、独立行政法人国立健康・栄養研究所において、「DMAA, ジメチルアミルアミン、 Dimethylamylamine, 1,3-Dimethylamylamine,Methylhexanamine,4-methyl-2-hexanamine, Forthane」は、「メチルヘキサナミン、ジェラナミン、ホルサン、ホルタン等とも呼ばれる化学物質」とされています。そして、この効果としては、興奮作用があると言われています。すなわち、この作用によって、競争心を増加させ、疲労を感じにくくさせることで、競技力を向上させようとするものです。
 もっとも、メチルヘキサンアミンは、競技力向上以外の目的のために競技者より摂取される可能性が高いものとして、規程により「特定物質」に分類されています。
イ なお、メチルヘキサンアミンによるドーピング違反が問題になった国内の事例として、2013年及び2011年にボディビルディング選手がドーピング違反とされたもの、2011年に自転車競技選手がドーピング違反とされたもの、2010年にパワーリフティング選手がドーピング違反とされたものがあります。海外の事例をみると、最近では、北京五輪の陸上男子リレーで優勝したジャマイカチームにドーピング違反があったと報道されましたが、報道によればここで問題にされていたのもメチルヘキサンアミンでした。

2 争点
 上記のとおり、千葉選手の主張は「自分には身に覚えがない」というものでした。したがって、千葉選手に故意または過失があるか否かが争点となります。規程に沿っていえば、「過誤又は過失がない」(規程10.4項)あるいは「重大な過誤又は過失がない」(規程10.5項)と認定されるか否かです。
 仮に、前者が認められれば資格停止期間の取消し、後者が認められれば資格停止期間の短縮が認められます。
 なお、千葉選手は、尿検体にメチルヘキサンアミンが存在したことについては争いませんでした。これは、JADAの検査手続きに対する信頼性の高さによるものと思われます。

3 千葉選手の主張
(1) 禁止物質がどのように自らの体内に入ったかの証明
  規程付属文書1によれば、「過誤又は過失がない」及び「重大な過誤又は過失がない」という主張をするには、いずれも、「競技者は禁止物質がどのように自らの体内に入ったかについても証明しなければならない」とされています。したがって、千葉選手も、まずはどのようにして自身の体内にメチルヘキサンアミンが入ったかを証明しなければなりません。
 なお、正確に言えば“JADAのドーピング検査によって尿検体からメチルヘキサンアミンが検出された”という事実は、採取された尿検体にメチルヘキサンアミンが含まれていたことを示すのみです。すなわち、尿として体内から排出され検査に至るまでの間に、何らかの方法で外部からメチルヘキサンアミンが混入した可能性も含めて検討する必要があります。
 千葉選手は、使用していたボディーローションの成分が皮膚を通して体内に入り尿として体外に排出された可能性、同成分が皮膚に付着しており、尿検体採取時に混入した可能性等も検討したとのことですが、結局は、千葉選手が日常的に服用していたサプリメント(以下、「本件サプリメント」と言います)に含有されていたことがわかりました。
(2) 「過誤又は過失がない」ことについて
 JADA規程10.4項及びその解説によれば、「ビタミンや栄養補助食品の誤った表記や汚染が原因となって検査結果が陽性になった場合」には、同項は適用されないこととなります。したがって、上記のとおり、サプリメントの服用が原因となって検査結果が陽性になった以上、千葉選手に同項は適用されません。
 この時点で、千葉選手は何らかの処分を受けなければならないこととなります。
(3) 「重大な過誤又は過失がない」ことについて
 当然、千葉選手も自身が本件サプリメントを服用していたこと自体は認識しています。それにもかかわらず、「身に覚えがない」と主張するのは、“本件サプリメントがサンフレッチェ広島において推奨されていたものであり、千葉選手以外の選手もこれを服用していた”という事情があるからです。

4 日本アンチ・ドーピング規律パネルの決定
(1) 結論
 2016年12月20日、日本アンチ・ドーピング規律パネルは、千葉選手に対し以下の決定をしました。
  ① 規程2.1項違反が認められる。
  ② 2016年9月25日~同年10月21日までの個人成績を失効及びメダル、得点、褒章を剥奪する。
  ③ 資格停止期間を伴わない譴責とする。
 このうち、③は「重大な過誤又は過失がない」ことを前提とした処分です。すなわち、千葉選手に「重大な過誤又は過失」がなかったことが認められたのです。
(2) 理由
 日本アンチ・ドーピング規律パネルは、2017年1月6日付で上記決定の理由を示しました。特に上記③の決定に関し、要約すると以下のとおりです。
・ 競技者は自らが摂取するものに関して責任を負うとともに、サプリメントの汚染の可能性に関しては競技者に対してすでに注意喚起がなされている
・ 千葉選手もまたサプリメントの汚染の可能性については一般的に注意喚起を受けていたのであるから、過誤又は過失がまったくなかったとはいえない
・ 以下の各事情から、千葉選手としては本件サプリメントに禁止物質が含まれていないと誤信したことにも相当な理由があり、「重大な過誤又は過失がない」と認められる
 ○本件サプリメントは、WADAが定める禁止物質が混入していないとして、チームが推奨したもの
 ○本件サプリメントのパッケージにも「ドーピング規定に違反する成分は一切使用していません」という文言が明記
 ○チームトレーナーが予め製造元、輸入業者に成分の問い合わせを行い、禁止物質が混入していないという明確な回答があり、チームドクターの承諾も得ていた
 ○長期間にわたって複数の選手が本件サプリメントを服用していたが、これまで違反が発生した事案はなかった
・ 本件サプリメントの服用について、チームが積極的に関与していたが、それはむしと選手をドーピング違反から守るためのものである
・ 以上の事実及び本件違反が1回目であることからすると、本件は例外的事例であって、譴責とするのが相当である

5 若干の私見
  せっかくコラムとして掲載していただく機会を頂きましたので、僭越ながら雑感程度の私見を述べて締めたいと思います。
(1) 本当に「過誤又は過失がない」とはいえないのか
 規程10.4項及びその解説によれば、サプリメントの服用によって、ドーピング違反が判明した場合、一律に「過誤又は過失がない」となるように読めます。しかし、本件も含めサプリメント服用事案の場合には、全て過誤又は過失があるとすることは、やや過剰な気がしています。
 不法行為(民法709条)では、「故意又は過失」がある場合に損害賠償責任を負うことになっていますが、ここでいう「過失」とは、端的にいえば、結果予見可能性及び結果回避可能性を前提とした注意義務違反のことをいいます。すなわち、注意義務を尽くしていて、それでもなお結果が発生した場合には、損害賠償責任を負うことはありません。
 これに照らしてみると、千葉選手は本当に注意義務を尽くしていなかったと言えるのでしょうか。製造元及び輸入業者にも確認し、チームドクターにも確認をとり、かつ、パッケージにも明記され、過去にもドーピング違反になった実績がないという事情のもとで、千葉選手にとって、他にどのような結果回避のための注意義務が想定できるのでしょうか。
(2) ドーピング違反のないスポーツ界を実現することとのバランス
 ドーピング違反に対し、徹底した手続き、厳格な処分を制度として用意しているのは、やはり、スポーツ界において一切のドーピングを排除しようという姿勢の表れのようにも思います。制度として柔軟性を持たせることは、一定程度のドーピング使用(意図的でないものを含む)を容認することに繋がるのかもしれません。本件においても、一定期間、千葉選手がメチルヘキサンアミンを体内に入れた状態で競技をしていたことは間違いないわけですから(メチルヘキサンアミンがどれほどドーピングとしての効果を有しているかは別途問題がありますが)、このような状態が起きることを是正する必要性自体はあるように思います。
 しかし、他方で、本件のような事例を見ていると、現代社会においてWADA規程における「禁止物資」が体内に入ることを一切避けることは非常に困難ではないかとも思います。競技者に非がない、あるいは、非がごく僅かな場合にも処分をすることは、譴責はともかく資格停止処分が選手生命にもかかわる非常に厳しいものであることにも照らせば、ある程度柔軟な解決が必要になる場合も出てくるのではないでしょうか。そういう意味では本件で「譴責」という決定となったことは、現在の制度の中で最大限の配慮がされているように思います。

 なお、本コラムの執筆にあたり、望月浩一郎弁護士のブログを参照させていただきました。

執筆:太田・渡辺法律事務所 弁護士 金刺 廣長