クーベルタンのオリンピズムと新しいオリンピズムの発信
「オリンピックの創出とクーベルタンのオリンピズムを問う」と題した公開シンポジウムが3月8日、奈良女子大学で開催された。その趣旨は、2020年オリンピック・パラリンピック東京大会を見据えて、創始者であるクーベルタンがオリンピックに求めた思想・理念(クーベルタンのオリンピズム)とオリンピックの再興を実現し得たその時代的背景や社会的背景を明らかにすること、それを踏まえ今後のオリンピズムの行方を考えてみたいということであった。スポーツ史、スポーツ文学、スポーツ社会学等を専門とする研究者からの焦点を絞った内容は、フロアからの質問や補足意見を加え、多くのことを考えさせられた。
クーベルタンは幼いときに普仏戦争の悲惨さを目の当たりにし、また世界戦争が迫る危機感を抱いていた。そして、その原因を他人・他国に対する無知と考え、その解決策としてオリンピックを構想し、青年教育と国際主義による平和社会の実現を基層とするオリンピズムを主張した。しかしながら、当初から誤解や無理解からクーベルタンのオリンピズムからはズレが生じ、1908年ロンドン大会ではすでにナショナリズムがぶつかる。晩年には、生まれ変わったら自ら苦労して築いたものを破壊するともクーベルタンは言っている。さらに皮肉なことに、ナチズムに彩られた1936年のベルリン大会を見た翌年、彼はこの世を去っている。
近代オリンピックは再興から約120年、ほかに類を見ない国と地域の参加を背景に国際的イベントとしていくつかの危機を経験しながらも継続しているには理由がある。クーベルタンの理想から現実はずれながらも、一方で新たな価値を付加しながら、歩んできたオリンピックムーブメントには、国や地域、時代を超えた普遍的な問いかけがあり続けることにあると思われる。最高の競技大会として、選手のパフォーマンスや現実的な運営、メダルに代表される結果にばかり目を奪われがちななかで、成熟した日本開催というなら、根幹にある「人生哲学・・生き方の創造」「人間の尊厳保持に重きを置く、平和な社会を推進する・・」とされるオリンピズム理念を再確認したうえで、新しいオリンピズムの発信ができるなら、2020年東京大会の価値はあがる。
井上洋一
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