スポーツ法支援・研究センターは、スポーツ法の支援と研究を2本の柱としていますが、スポーツ法の研究のことについて述べてみます。

スポーツ法の研究をしようとする場合やスポーツ法について何かの教育を行わなければならないという場合に、まず最初に戸惑うことは、「スポーツ法」のアイデンティティがよくわからない、確立されていない、ということです。「スポーツ法」という法律はありませんので、スポーツ法がどこにどのような形で存在しているのか、ということはおおいに気になりますが、この点については、これまでかなり無頓着であったように感じます。「スポーツと関連のある法律関係にかかわる法」というくらいのことは言えますが、「では、水泳の選手が水着を買う関係は、スポーツ法の適用場面ですか」と聞かれるとにわかには答えにくいでしょう。
このことは、行政法と比べてみるとよくわかると思います。「行政法」という法律はありませんが、それがどのような形で存在していて、そこにどのような「固有の規範」「固有の理論」があるかということは、行政法の土台として確たる認識が共有されています。つまり行政法のアイデンティティに戸惑う人はいないのです。そこに働く固有の規範と対象とした行政法学の理論はきわめて精緻な体系をなしていて、研究者にとっては実に魅力的な対象と映ります。
これに対して、スポーツ法のアイデンティティは、どこにあるでしょうか。日頃、例えば、スポーツ選手の地位や、スポーツ事故や、競技団体や、スポーツ施設の問題などをとりあげると、それは紛れもなくスポーツ法の問題であるというお約束のうえで議論が行われているかに感じます。しかし、実は、それは、いろいろな他の法分野のスポーツがらみの話題を集めているだけで、スポーツ法という固有の規範や理論は存在しないのではないか、という密かな不安も顔を出します。実は、スポーツ法にはスポーツの場面にのみ妥当する固有の規範や固有の法理がはっきりせず、スポーツ法の問題とされているものも、本当は行政法や民法や場合によっては憲法の理論をスポーツの現場の問題に「あてはめて」いるだけの話で、それぞれの法分野の研究に任せておけば足りるのではないか、とさえ疑う人もいるのです。これに対しては、各法分野のスポーツがらみの話題を集めること自体に一定の意味があるのだと、反論する人があるかもしれません。これは否定しませんが、ただ、それではスポーツ法のアイデンティティは成り立たないのです。
実は、この点こそ、スポーツ法が法学の一分野として発展しにくい大きな原因となっているのではないかと疑っています。そして、この点こそ、外国のスポーツ法学が取り組んできた大きな課題でした。スポーツ法の研究は、まさにこの点に力を集中して、法学としてのブレークスルーをなしとげるべき時期に来ているのでしょう。

笠井 修