LGBTと2020年の東京五輪
LGBTとは、レズビアン(Lesbian)、ゲイ(Gay)、バイセクシュアル(Bisexual)、トランスジェンダー(Transgender)という多様な性的少数者のことを総称する言葉である。 2014年2月にロシアで開催されたソチ冬季五輪では、テロや治安対策だけでなく、2013年6月に成立した反同性愛法が世界中から批判の的となった。この法律は、未成年者に対し同性愛などの非伝統的な性関係の情報提供や宣伝を厳しく取り締まるものであった。しかし、同法の運用如何では、同性愛者への差別や偏見が助長され、弾圧につながらないかとの不安が一気に広がった。2013年9月には、モスクワで、性的少数者の権利擁護の活動家が「ゲイパレード」の実施などで騒いだことから、警察に逮捕されるという事件も発生した。
また、ソチ五輪に出場する選手でのなかでLGBTの当事者たちも、反同性愛法を制定したプーチン政権への抗議の意味を込めてカミングアウトする動きも出てきた。こうした事態を受け、ジャック・ロゲ前IOC会長も、同法が五輪の訪問者・参加者の権利を侵害することはないとのロシア政府の確約を明言したり、その後のトーマス・バッハ新会長も、いわゆる「抗議ゾーン」の設置を認めさせるなど、円滑な五輪開催と人権問題との折り合いをつけるべく必死の努力を見せた。しかし、残念ながら、米国のオバマ大統領、オランド仏大統領、英国のキャメロン首相などによる開会式欠席という事態も相次いで起こった。
これに対して、世界では、ソチ五輪を目前にした2013年4月に、ウルグアイとニュージーランド、5月にフランス、7月にイギリスが次々に同性婚法を成立させ、2013年6月には、アメリカ連邦最高裁が婚姻を男女に限る婚姻擁護法(DOMA)を連邦憲法5条修正に違反し違憲とする画期的な判決を下した。2015年1月には、近隣のベトナムでも同性婚が容認され、5月には、アイルランドで、世界初の同性婚を認める憲法改正の国民投票が行われ、賛成多数で改正が容認された。これで世界で同性婚を認める国は、一挙に20か国以上にも広がり、その勢いは増すばかりだ。LGBTの大きなうねりが、今や、文化・伝統・宗教の障壁を、人権という普遍的な価値で乗り越えようとしている。スポーツの世界でも、対立・緊張・衝突を越える鍵は、案外ここに見いだせるかもしれない。
このような最近の国際情勢のなかで、日本でも、電通が2015年4月に行ったインターネット調査では、なんと7.6%、つまり13人に1が人がLGBTの当事者であるとの回答が得られた。また、2015年3月末には、渋谷区で、任意後見契約を交わし、20歳以上で区内に居住する同性のカップルに対し「結婚に相当する関係」として証明書を発行する初の条例が賛成多数で可決された。世田谷区や横浜市など他の自治体にも広がる兆しを見せている。
2020年の東京五輪では、オリンピック憲章や国際人権規約等のグローバル・スタンダードや人類の普遍的価値に照らして、人種、宗教、性別、政治的意見、性的志向(Sexual Orientation)、出自や社会的身分などを理由とする、いかなる差別も許されず、基本的な人権や自由が確実に保障されなければならない。その意味で、今回の東京五輪開催は、日本にとって、施設や交通網の整備や経済効果だけではなく、五輪のレガシーを確実に承継し、ジェンダー平等や多様性に配慮し、世界中の人々に安全かつ安心してやって来れる平和で差別のない素敵な国となるためのグッドチャンスでもある。2015年3月には、先の渋谷区の条例のほか、性的少数者ヘの差別をなくす初の超党派の国会議員連盟の結成、文科省による全国の小中高校でのLGBTへの偏見をなくす啓発活動を指示する通知など、我が国でもこれまでにない積極的な動きが出てきた。これら一連の注目すべき動きは、5年後の東京五輪の成功を占う、いわば試金石とも言える重要な流れに連なってはいまいか。
早稲田大学教授 棚村 政行