ひとしきり「スポーツ指導における『体罰』・暴力」問題がマスコミをにぎわし社会問題化したが、今は「暴力根絶宣言」通達などが各競技・スポーツ団体にも浸透して沈静化した感がする。しかし学校部活動における「暴力」「いじめ」問題は完全になくなったとは言えない。それは日本学生野球連盟傘下の大学・高校野球部に関連した一連の「処分」報告は今なお続いていることからもその根深ささがうかがえよう。

ところで大阪市立桜宮高校バスケットボール部主将だった男子生徒が体罰を受け自殺した事件は、すでに2013年9月26日の大阪地裁判決で元顧問教諭に懲役1年・執行猶予3年の有罪判決ですでに「決着」がついた感じだが、判決公判後に自殺した生徒の両親が「なぜ体罰が許容されたのか、裁判で答えはなかった」ことを取り上げた産経新聞のコラム「視線」(2013年10月14日)で井口文彦編集長は最後に「教師の暴力に、『これはいけない』と学校が声を上げなかったのはなぜか。『見て見ぬふり』はなぜ続いたのか。教師や父母、教え子らの証言を聴き、考えたかった。”病根”の所在すら質(ただ)そうとしない、表層的な『刑事裁判』。これでは生徒が浮かばれない。」と書いた。このように書く理由は法廷での練習試合のビデオ映像には「元教諭が生徒に繰り返した体罰の一部始終が記録されていた」が、検察幹部の「暴行以上に異様なのは、殴り続ける教師を誰も制止しようとしなかったこと。見て見ぬふりをする者が結果として体罰を継続させてきた」(検察幹部)ことへの怒りであろう。まさに「常軌を逸した体罰を知りながら学校は正常化へ動かなかった。その理由こそが問題の本質なのではないか―。」

まったく話は変わるが、去る5月28日、福岡市教委は、博多区の市立中学校で柔道部の練習中、技をかけられた1年の女子生徒が頭を打って意識不明となり、その後死亡したと発表した(毎日新聞5月28日付)。詳細は記事にゆずるが、上級生である2年生の女子生徒によって4月に入部したばかりの1年生が大外刈りをかけられて転倒し、後頭部と首を打ち意識不明になり、救急搬送されたが、5日後に亡くなったというのである。この柔道部の練習では有段者の顧問教師とボランティア指導員2名が指導現場に居りながら、なぜ体力差もさることながらまったく経験のない1年生女子を相手に上級生である2年生にもっとも危険な「大外刈り」の技をかけさせたのか、これまた記事の内容を疑ったが、「市教委は指導法に問題はなかった」という報告である。全柔連『柔道の安全指導』(2011年第3版)や「安全指導啓発ビデオ」を持ち出すまでもなくこれまでの多くの「柔道における死亡事故」や重大事故の事例が示すように、1年生(初心者)に多発、大外刈りで重大事故発生率が高いことは周知のはずであろう。

以上、2つの事例はまったく異なる状況での「スポーツにおける死亡」事件であるが、防げるべき手立ても対策もあったはずなのに「見て見ぬふり」「知ったつもり」「見ていただけ」の大人・指導者の責任に帰するべき問題である、と私は強く思う。「これでは生徒・子どもは浮かばれない!」と思うが、みなさんはいかがであろうか。

森川貞夫